ほとんど眠れないまま朝になった。これから大くんをお見送りする。杉野マネージャーも一緒だし大丈夫。仕事モードで頑張らなきゃ。「さて、お見送りだぞ」「はい」ロビーから裏玄関へ向かい待っていると、車はすでに手配されていた。池村マネージャーさんの後ろに歩いてついてくる大くん。顔を見た瞬間、昨晩のことが蘇る。「紫藤様、今回は本当にありがとうございました」杉野マネージャーが頭を下げる。「いえ、こちらこそお世話になりました」相変わらず笑顔の大くん。「あ、そうだ。この辺に本屋さんはありますかね。空港にありますよね」「そうですね」「実は押し花しおりを見つけて」そう言って、胸のポケットから出したのは、私が大事にしていたあのしおりだ。私にわかるようにわざと見せてきたのだろう。「どこにあったんですか?」杉野マネージャーが質問する。「部屋の中です」「返して」と言いたいけど、どうして私の物を持っているのかとか、一人で大くんの部屋に行ったなんてバレてしまったら大問題になる。大くんは、私の様子を窺っているようだ。気持ちを悟られたくなくて目を逸らした。「では、時間ですので」池村マネージャーが言うと、大くんは車に乗り込んだ。もう、会うことはない。切なくて胸が張り裂けそうになる。車が走りだすと、思わず泣きそうになった。生ぬるい風が頬を撫で私は仕事だということを忘れうつむく。今日は、一段と暑い。ジャケットを脱いで腕にかけた。「じゃあ、俺らも……帰ろうか」「はい」歩き出す杉野マネージャーは、ピタリと歩みを止めた。「……紫藤大樹はやめたほうがいい」「え?」驚いて目を丸くすると、近づいてきた杉野マネージャーは私の汗ばんでいる首筋に触れた。「これ、どう見てもキスマークだよな」「虫刺されだと思います……」「ああ、そう」なぜ他の男の人たということを疑わないのだろうか。「夜中に部屋を出てVIPルームの方向に行くのを見たんだよね」誰もいないことを確認していたつもりだったのに、まさか見られていたとは。「追いかけたんだけど少し遅くて、もうエレベーターは動かせなかった」VIPフロアに泊まっている人しか操作ができない仕様になっているからだ。「なんか、変だなって思って……寝る前に携帯でいろいろ調べたんだ。紫藤大樹、若い頃に女の子を妊娠させたスキャン
+東京に戻って千奈津にお土産を渡すとすごく喜んでくれた。「ねーねー、生紫藤大樹はどうだった?」「綺麗な顔だったよ」「いいなぁー」はしゃいでいる千奈津に「仕事しろ」と言って、紙で丸めた棒状なもので頭を軽く叩いている杉野マネージャー。この状況を見ていると、日常に戻った感じがする。あっという間に一ヶ月が過ぎた。私も仕事にだんだんと慣れてきて少しは戦力になってきたのではないだろうか。はなのしおりが無いことに違和感を覚えつつ、なんとか頑張っている。CMもでき上がってきて、最終チェックをして、八月から放映される予定だ。九月からはCOLORのツアーがあるらしく、うちの会社がスポンサーになった。気持ちを押し殺そうとしても、気がつけば大くんのことばかり考えている。好きだとか言ってくれたけど、あれは嘘だったんだろうな、きっと。杉野マネージャーは、あれから大くんのことは聞いてこない。ただ「スポンサーになったんだな」と、ボソッと言われた。「スポンサーになったからもしかしたらまた会ってしまうこともあるかもしれないけど……気をつけて行動するんだぞ」釘を刺されたような気がする。
紫藤大樹side沖縄の撮影が終わり飛行機で帰る最中、目を閉じていたが、美羽のことばかり考えている。――十年ぶり……か。まさか、再会できるなんて思わなかった。予告なしに会った時、俺は自分を見失いそうになった。ずっと、美羽に会えなくなってから怒りしか残ってないと思っていたのに、俺は愕然とした。撮影中も仕事に集中できなくて、どうにか二人きりになりたいって思っていたんだから。バカだよな。何年も同じ女を好きでいるなんて。自分がこんなに一途だとは知らなかった。兄貴が亡くなってからも、俺はあの家に帰ると兄貴がいるような気がしてたまに行ったりしていた。今考えたら明らかに不審者なんだけどね。俺は、とにかく孤独だった。親と兄の死を間近に見て、生きていることの有り難みを知ったと同時に、死への恐怖心も芽生えていた。いつも、どこか暖かい場所を求めていたのかもしれない。美羽にはじめて会った時、なんとなくフィーリングは合う気がしたけど、まさか恋愛感情が芽生えるなんて思わなかった。恋愛なんてできないと思っていたのに、気がつくといつも美羽の顔が浮かぶようになって、辛いレッスンがあった後でも美羽に会えると思うと頑張れたんだ。――兄貴からのプレゼントだと思った。孤独すぎる俺に、与えてくれた兄貴からのプレゼント。きっと、俺は美羽に出会うために生きているのだとさえ感じられて、愛しくてたまらなかった。美羽は言葉でちゃんと伝えてやらなきゃわからないタイプだから、気持ちが通じ合うまで時間がかかった。はじめて美羽を抱いた日。俺は余裕が無くて、ついついソファーでしてしまったんだ。目を閉じると鮮明に思い出すことができる。もう一度、真っ白な肌の美羽に触れたい――……。
沖縄からの飛行機は東京に無事到着しタクシーに乗り込んだ。これから、バラエティー番組の収録がある。「疲れてない?」「いつものことだし」質問してきた池村マネージャーに素っ気なく答えると、自分の胸ポケットからしおりを出した。「それ、本当に拾ったの?」じっとしおりを見つめている俺に話しかけてくる。「ああ、そうだよ」余計なことは、言わないほうがいい。俺と美羽の過去を知ったら、池村マネージャーはすぐに会社に報告するだろう。面倒なことが起きる前に、美羽となんとか話をしたい。意地悪な言葉をかけて冷たい視線を向けて、嫌がることをしてしまった。お詫びをしてまた話をしたい。収録を終えて美羽に早速電話をするが、着信拒否をされていた。その日から、時間を見つけては何度かかけたけど、出てくれる気配はない。美羽は、本当に幸せなのだろうか?あの杉野マネージャーとやら男と本当に付き合っているのかな。俺と別れて正解だったと思ってるのか?自分だけがこんなにも美羽に執着しているのか。美羽が大事にしていた「花のしおり」を見つめて悶々としていた。会いたい会いたいって想い続けていたから、ああやって会えたんだと思う。だから、想い続けていたら、またどこかで縁が繋がるかもしれない。どこかで、美羽を信じている自分がいる。社長や美羽の親が、子供を堕ろしたと言っても、違うんじゃないかと思いたい。今すぐにでも会いに行きたいと思っていたのだが、監視があまりにも酷かったし社長は何度も俺に暗示をかけてきた。『あの子は、結局普通の幸せが欲しいのよ。見返してやりなさい』そう言われていた。『手紙が届いたわよ』社長に言われて渡された手紙の内容には愕然としてしまった。『紫藤様短い間でしたがお世話になりありがとうございました。私は自分の将来を考えて、子供は産まない決断をしました。このことは一生誰にも言わない秘密にします。仕事に励んで頑張ってください。さようなら』美羽が書いた内容とは思えなかったが、字は美羽のものだった。でも、どうしても諦めきれなくて目を盗んで家に行くと美羽は引っ越ししていた。またあの家は空っぽの箱になっていたのだ。大きな大きな傷が心について、涙が自然と溢れ出す。唇を噛み締めながら嗚咽を堪えた。両親も兄も死んで、さらに愛する人へも会えなくなった。どうして
精神が崩壊しそうになりながら、仕事に励んでいた。――美羽。会いたい。すぐに会いに行けないもどかしさの中、COLORはだんだんと知名度を上げて自由に動けない日々だった。そんな、ある日。美羽が大学を卒業する二ヶ月前。そんなタイミングに、俺は勝負をかけ空いた時間に美羽の実家に行ったのだ。何が何でも美羽を連れ去ろうと思っていた。実家のチャイムを押すと家にいたのは美羽のお母さんだった。夕方の時間を狙って訪ねたのだが、美羽は不在だった。それでも人目につくと危ないからと言って、中へ入れてくれたのだ。門前払いかと思っていたから、驚いた。「美羽さんに会わせてください」「あの子を好きになってくれてありがとう。あなたみたいな素敵な男の人が身近にいたら恋しちゃうわよね」優しく微笑んでくれた美羽のお母さんは、やはり美羽に似ていた。「早く会いに来たかったのですが、パパラッチなど、ご迷惑かけてしまうのでどうしても時間を置いてからじゃないと駄目だったんです」「芸能人って大変なんですね」一線を引かれたような言葉に、少し怖気づきそうになった。「……本当に、美羽さんは子供を堕ろしたのでしょうか?」「ええ」美羽のお母さんは、間髪をいれず即答した。それでも俺は、その言葉を受け入れられずにいた。「信じられないです」「残念ながら事実よ。あの子は就職も決まってやっと前を向いて歩き出したの。もう、関わらないであげてください」真剣すぎる眼差しに、その時の俺は何が正しいのか判断できなくなっていた。美羽が、子供を降ろすはずないのに。産んでどこかにいるのではないか? どうしてもそう思ってしまうのだ。「もしも、あなたが美羽を想ってくれるのなら、そうっとしておいてください。一般人の美羽を巻き込まないであげて。陰ながらあなたを応援しますので」その日、俺は美羽に結局会えなくて。それから、ずっと会えなかった。そもそも、俺のことを愛していたならば、様々な手段を使ってでも連絡してくるハズだ。でも美羽は連絡先も変えて、俺との縁を切ったように思えた。愛が憎しみに変わっていく――。あいつを後悔させてやる。そんなふうに思考が塗り替えられていった。そうしないと頑張れなかったんだ。
+「紫藤さんが甘藤のCM出たから、ツアーのスポンサーになってくれたわ」池村マネージャーから報告を受けたのは、振付の確認をCOLORメンバーとしていたダンススタジオでのことだった。汗を拭きながら冷静なフリをする。また美羽の会社と関係することができたが、美羽に会うことはできるだろうか。「マネージャー。関係者席で甘藤の社長さんにチケット送るでしょ? コマーシャルの撮影に来てくれたあの人たちも招待してあげたら?」「そうですね。用意しておきましょうか」必ずしも美羽が来るとは限らないが、可能性はある。次こそ、会えるチャンスがあったら絶対に逃がさない。そんな決意を胸の中でそっとして仕事に励んでいた。家にいる時は、いつもあの「花のしおり」を見ている。今日も一人でビールを呑みながらネットでいろいろ調べる。「しおり」について有力な情報は得ることができない。美羽は、なぜあんなにも取り返そうとしたのだろうか。チャイムが鳴りドアを開けると、寧々がいた。「帰ってきてたんだ? お邪魔するよ」寧々は、わざわざ俺と同じマンションに引っ越してきた。最近は、モデル業の傍ら女優としても才能を開花させている。入っていいと言ってないのに、寧々は中に上がってきてソファーに座った。「また見てたの? ボロボロしおり」「悪い?」「大樹ったら、相変わらず冷たいな。そんなにあたしのこと嫌い?」顔を覗き込んでくる。「嫌いじゃない。恩は感じてるよ」細い足を組んでフーっとため息をつかれる。「なんかさ、最近、大樹おかしくない? 様子が変というか。あの時に似てるというか、抜け殻みたいな……」あの時とは、美羽と別れた直後のことだ。俺のスキャンダルを消してくれたのは、寧々の親父である大物プロデューサーのおかげだった。だから、寧々には頭が上がらない。「べつに、普通だけど?」「大樹。また変な女に引っかかっているんじゃないよね?」「……まさか」美羽は変な女じゃない。寧々は、失礼な奴だ。「なんで大樹は、あたしのこと好きになんないのかなぁ」「俺は簡単に人を好きにならないから」「あたしは大樹のこと、大好きなのに、報われないの?」つぶやくように言う寧々は、俺の様子を窺っている。「寧々みたいな美人なら男なんて選び放題でしょ」「うん。でも、大樹がいい」「お前もそろそろ
+九月になり、ライブツアーがはじまった。ライブがはじまると、かなりハードな毎日だ。でも、ファンと生で会えるのは一番エネルギーをもらえるから、ライブは大好きだ。東京でのライブは十一月三日。俺と美羽が付き合いはじめた日なのだが、覚えているだろうか。自分だけが大事な日だと思って生きてきたのかな。その日、美羽は来てくれるだろうか。来てくれたとしても、直接言葉を交わすチャンスはあるかな。ツアー中もしおりを持って回っている。まるでお守りだ。なんだか、これを見ると落ち着くんだ。不思議だな。なんでだろう。ツアーを回ってきて東京に戻ったのは、十月末だった。業界人が集まる居酒屋で俺はプロデューサーと呑んでいた。そこに店のスタッフがきた。「デザイナーの小桃さんがいらしています」耳打ちをされる。これは、店の厚意だ。業界は横の繋がりがすごく大事になるから、芸能関係の人がいると教えてくれるのだ。プロデューサーとある程度呑んだところで、俺は小桃さんの部屋へ挨拶に行く。世界的に有名なデザイナーの小桃さんは、寧々のファッションショーも手がけたことがあり、面識もあった。「失礼します」ノックをして中へ入ると、派手派手な紫のワンピースの女性が目に入る。小桃さんは、相変わらず奇抜な洋服を着ているが似合っている。「あら、大樹くんじゃない。いたの?」「ええ、プロデューサーと」俺の視線に入ってきたのは、見覚えのある女性だった。美羽の友達の真里奈さんだ。真里奈さんは俺を見て固まっている。「友人の真里奈さん。あー、正確に言うと友人の友人だったの。今日は女子三人で会う予定だったんだけど、もう一人は残業で来られないみたいで」小桃さんは真里奈さんを丁寧に紹介してくれた。もう一人って、まさか美羽じゃないだろうか。「……俺のこと、覚えていますか?」少しでも美羽に繋がれるチャンスがあるなら、逃したくないと思って真里奈さんに話しかけた。「もちろんです」真里奈さんは、俺の目を真っ直ぐ見つめて答えた。「二人、知り合い? えぇ、びっくり。何繋がり?」小桃さんは、一人テンションが高い。そんなことを気にしないで俺は真里奈さんに頭を下げる。「美羽に会わせてください」「なになに、美羽ちゃんとも知り合いなの?」小桃さんは、わけがわかっていない状態だ。「美羽に会いたがってい
ジャケットの内ポケットから、美羽が大事にしていたしおりを出してみせると、真里奈さんの表情は変わった。きっと、彼女は何かを知っているのだ。だけど、小桃さんの手前言えないのだろうか。その時、タイミングよく小桃さんの携帯が鳴り部屋を出て行く。二人きりになったタイミングで真里奈さんは、口を開いた。「なぜ紫藤さんがこれを持っているんですか?」先月からコマーシャルが流れている。「実は最近流れているコマーシャルの仕事で再会したんです」「そうだったんですか? そんなこと一言も言ってなかった」「情報解禁できるまで言えなかったのではないでしょうか?」なるほどというような顔をした。「これは美羽の口から言うべきかもしれないですが、おせっかいかもしれないけど、もしあなたが今でも美羽を愛しているのなら言いますが?」真剣な口調で言うから、俺も真剣にうなずいた。「愛しているから、こんなに必死なんです。俺が芸能人じゃなきゃ、会社の前で待ち伏せしたいですよ。でもそんなことをしたら、美羽にも会社にも迷惑かけてしまう。美羽の気持ちもわからないし……」必死で言うと、真里奈さんは厳しい口調で問いかけてくる。「なんであの時、迎えに来なかったの? そんなに芸能界に残っていたかったわけ?」そんなふうに思うのも仕方がないだろう。キツイ口調なのも、美羽を思ってのことだと理解できるから、受け止める。「想像を超えるパパラッチがいたし、行きたくても行けなかったんです。それでも落ち着いた頃実家に行ったこともありましたが、お母さんに美羽の幸せを願うなら、現れるなと。悔しかったけど、俺は身を引くことが一番だと思っていたんです。それなのに、再会してしまって。勝手に子供を降ろされて憎んでいたはずなのに、俺はまだ美羽を愛していると気がつきました」一気に言うと、真里奈さんの表情が少し和らいだ。「信じますよ。あなたの、言葉」「ええ」一呼吸置いた真里奈さんは「赤ちゃんです」と言った。「赤ちゃん……?」「産みたくて守ろうとした赤ちゃんは、お腹の中で……亡くなったんです」「……堕ろしたんじゃなく?」金属バットで殴られたような、すごい刺激が頭を走った。堕ろしたんじゃ……ないだと?「残念ながら、亡くなってしまったみたいなんです。手術をして退院した日に、咲いていた花だったみたいで。『はな』って名前
「俺たちはさ、自分のやりたい道を見つけて、それぞれ進んでいけるかもしれないけど、今まで応援してくれた人たちはどんな気持ちになると思う?」どうしてもそこだけは避けてはいけない道のような気がして、俺は素直に自分の言葉を口にした。光の差してきた事務所にまた重い空気が流れていく。でも大事なことなので言わなければならない。苦しいけれど、ここは乗り越えて行かなければいけない壁なのだ。.「悲しむに決まってるよ。いつも俺たちの衣装を真似して作ってきてくれるファンとか、丁寧にレポートを書いて送ってくれる人とか。そういう人たちに支えられてきたんだよね」黒柳が切なそうな声で言った。でもその声の中には感謝の気持ちも感じられる。デビューしてから今日までの楽しかったことや嬉しかったこと辛かったことや苦しかったことを思い出す。毎日必死で生きてきたのであっという間に時が流れたような気がした。「感謝の気持を込めて……盛大に解散ライブをやるしかないんじゃないか?」赤坂が告げると、そこにいる全員が同じ気持ちになったようだった。部屋の空気が引き締まったように思える。「本当は全国各地回って挨拶をさせてあげたいんだけど、今あなたたちはなるべく早く解散を望んでいるわよね。それなら大きな会場でやるしかない。会場に来れない人たちのためには配信もしてあげるべきね」「そうだね」社長が言うと黒柳は返事してぼんやりと宙に視線を送る。いろんなことを想像している時、彼はこういう表情を浮かべるのだ。「今までの集大成を見せようぜ」「おう」赤坂が言い俺が返事をした。黒柳もうなずいている。「じゃあ……十二月三十一日を持って解散する方向で進んでいきましょう。まずはファンクラブに向けて今月中にメッセージをして、会場を抑えてライブの予告もする。その後にメディアにお知らせをする。おそらくオファーがたくさん来ると思うからなるべくスケジュールを合わせて、今までの感謝の気持ちで出演してきましょう」社長がテキパキと口にするが、きっと彼女の心の中にもいろんな感情が渦巻いているに違いない。育ての親としてたちを見送るような気持ちだろう。それから俺たちは解散ライブに向けてどんなことをするべきか、前向きに話し合いが行われた。
「じゃあ、まず成人」 赤坂は、名前を呼ばれると一瞬考え込んだような表情をしたが、すぐに口を開いた。 「……俺は、作詞作曲……やりたい」 「そう。いいわね。元COLORプロデュースのアイドルなんて作ったら世の中の人が喜んでくれるかもしれないわ」 社長は優しい顔をして聞いていた。 「リュウジは?」 社長に言われてぼんやりと天井を見上げた。しばらく逡巡してからのんびりとした口調で言う。 「まだ具体的にイメージできてないけど、テレビで話をするとか好きだからそういう仕そういう仕事ができたら」 「いいじゃないかしら」 最後に全員の視線がこちらを向いた。 「大は?」 みんなの話を聞いて俺にできることは何なんだろうと考えていた。音楽も好きだけど興味があることといえば演技の世界だ。 「俳優……かな」 「今のあなたにピッタリね。新しい仕事も決まったと聞いたわよ」 「どんな仕事?」 赤坂が興味ある気に質問してきた。 「映画監督兼俳優の仕事。しかも、新人の俳優を起用するようで、面接もやってほしいと言われたみたいなのよ」 社長が質問に答えると、赤坂は感心したように頷く。 「たしかに、いいと思うな。ぴったりな仕事だ」 「あなたたちも将来が見えてきたわね。私としては事務所に引き続き残ってもらって一緒に仕事をしたいと思っているわ」 これからの自分たちのことを社長は真剣に考えてくれていると伝わってきた。 ずっと過去から彼女は俺らのことを思ってくれている。 芸能生活を長く続けてやっと感謝することができたのだ。 今こうして仕事を続けていなかったら俺は愛する人を守れなかったかもしれない。でも美羽には過去に嫌な思いをさせてしまった。紆余曲折あったけれどこれからの未来は幸せいっぱいに過ごしていきたいと決意している。 でも俺たちが解散してしまったらファンはどんな思いをするのだろう。そこの部分が引っかかって前向きに決断できないのだ。
それは覚悟していたことだけど、実際に言葉にされると本当にいいのかと迷ってしまう。たとえ俺たちが全員結婚してしまったとしても、音楽やパフォーマンスを楽しみにしてくれているファンもいるのではないか。解散してしまうと『これからも永遠に応援する』と言ってくれていた人たちのことを裏切るのではないかと胸の中にモヤモヤしたものが溜まってきた。「……そうかもしれないな。いずれ十分なパフォーマンスもできなくなってくるだろうし、それなら花があるうちに解散というのも一つの道かもしれない」赤坂が冷静な口調で言った。俺の意見を聞きたそうに全員の視線が注がれる。「俺たちが結婚してもパフォーマンスを楽しみにしてくれている人がいるんじゃないかって……裏切るような気持ちになった。でも今赤坂の話を聞いて、十分なパフォーマンスがいずれはできなくなるとも思って……」会議室がまた静まり返った。こんなにも重たい空気になってしまうなんて、辛い。まるでお葬式みたいだ。 解散の話になると無言が流れるだろうとは覚悟していたが、予想以上に嫌な空気だった。芸能人は夢を与える仕事だ。 十分なパフォーマンスができているうちに解散したほうが 記憶にいい状態のまま残っているかもしれない。 「解散してもみんなにはうちの事務所に行ってほしいって思うのは私の思いよ。できれば、これからも一緒に仕事をしていきたい。これからの時代を作る後輩たちも入ってくると思うけど育成を一緒に手伝ってほしいとも思ってるわ」社長の思いに胸が打たれた。「解散するとして、あなたたちは何をしたいのか? ビジョンは見える?」質問されて全員頭をひねらせていた。
そして、その夜。仕事が終わって夜になり、COLORは事務所に集められた。大澤社長と各マネージャーも参加している。「今日みんなに集まってもらったのは、これからのあなたたちの未来について話し合おうかと思って」社長が口を開くと部屋の空気が重たくなっていった。「大樹が結婚して事務所にはいろんな意見の連絡が来たわ。もちろん祝福してくれる人もたくさんいたけれど、一部のファンは大きな怒りを抱えている。アイドルというのはそういう仕事なの」黒柳は壁側に座ってぼんやりと窓を見ている。一応は話を聞いていなさそうにも見えるが彼はこういう性格なのだ。赤坂はいつになく余裕のない表情をしていた。「成人もリュウジも好きな人ができて結婚したいって私に伝えてきたの。だからねそろそろあなたたちの将来を真剣に話し合わなければならないと思って今日は集まってもらったわ」マネージャーたちは、黙って聞いている。俺が結婚も認めてもらったということは、いつかはグループの将来を真剣に考えなければならない時が来るとは覚悟していた。時の流れは早いもので、気がつけば今日のような日がやってきていたのだ。 「今までは結婚を反対して禁止していたけれど、もうそうもいかないわよね。あなたたちは十分大人になった」事務所として大澤社長は理解があるほうだと思う。過去に俺の交際を大反対したのはまだまだ子供だったからだろう。どの道を進んでいけばいいのか。考えるけれど考えがまとまらなかった。しばらく俺たちは無言のままその場にいた。時計の針の音だけが静かに部屋の中に響いていた。「俺は解散するしかないと思ってる……」黒柳がぽつりと言った。
今日は、COLORとしての仕事ではなく、それぞれの現場で仕事をする日だ。 その車の中で池村マネージャーが俺に話しかけてきた。「実は映画監督をしてみないかって依頼があるのですが、どうですか? 興味はありますか?」今までに引き受けたことのない新しい仕事だった。「え? 俺にそんなオファーが来てるの?」驚いて 思わず 変な声が出てしまう。演技は数年前から少しずつ始めてい、てミュージカルに参加させてもらったことをきっかけに演技の仕事も楽しいと思うようになっていたのだ。まさか 映画監督のオファーをもらえるとは想像もしていなかった。「はい。プロモーションビデオの表情がすごくよかったと高く評価してくれたようですよ。ミュージカルも見てこの人には才能があると思ったと言ってくれました。ぜひ、お願いしたいとのことなんです。監督もしながら俳優もやるっていう感じで、かなり大変だと思うんですが……。内容は学園もので青春ミステリーみたいな感じなんですって。新人俳優のオーディションもやるそうで、そこにも審査員として参加してほしいと言われていますよ」タブレットで資料を見せられた。企画書に目を通すと難しそうだけど新たなのチャレンジをしてみたりと心が動かされたのだ。「やってみたい」「では早速仕事を受けておきます」池村マネージャーは早速メールで返事を書いているようだ。新しいことにチャレンジできるということはとてもありがたい。芸能関係の仕事をしていて次から次とやることを与えてもらえるのは当たり前じゃない。心から感謝したいと思った。
大樹side愛する人との平凡な毎日は、あまりにも最高すぎて、夢ではないかと思ってしまう。先日は、美羽との結婚パーティーをやっと開くことができた。美羽のウエディングドレス姿を見た時、本物の天使かと思った。美しくて柔らかい雰囲気で世界一美しい自分の妻だった。同時にこれからも彼女のことを命をかけて守っていかなければならないと感じている。紆余曲折あった俺たちだが、こうして幸せな日々を過ごせるのは心から感謝しなければならない。当たり前じゃないのだから。お腹にいる子供も順調に育っている。六月には生まれてくる予定だ。昨晩は性別もわかり、いよいよ父親になるのだなと覚悟が決まってきた気がする。女の子だった。はなの妹がこの世の中に誕生してくるのだ。子供の誕生は嬉しいが、どうしても生まれてくることができなかったはなへは、申し訳ない気持ちになる。母子共に健康で無事に生まれてくるように『はな』に手を合わせて祈った。手を合わせて振り返ると隣で一緒に手を合わせていた美羽と目が合う。「今日も忙しいの?」「うん。ちょっと遅くなってしまうかもしれないから無理しないで眠っていていいから」美羽は少し寂しそうな表情を浮かべた。「大くんに会いたいから起きていたいけど、お腹の子供に無理をかけたくないから、もしかしたら寝ているかもしれない」「あぁ。大事にして」俺は美羽のお腹を優しく撫でた。「じゃあ行ってくるから」「行ってらっしゃい」玄関先で甘いキスをした。結婚して妊娠しているというのにキスをするたびに彼女はいまだに恥ずかしそうな表情を浮かべるのだ。いつまでピュアなままなのだろうか。そんな美羽を愛おしく思って仕事に行きたくなくなってしまうが、彼女と子供のためにも一生懸命働いてこよう。「今度こそ行ってくるね」「気をつけて」外に出てマンションに行くと、迎えの車が来ていた。
少し眠くなってきたところで、玄関のドアが開く音が聞こえた。立ち上がって迎えに行こうとするがお腹が大きくなってきているので、動きがゆっくりだ。よいしょ、よいしょと歩いていると、ドアが開く。大くんがドアの前で待機していた私は見てすごくうれしそうにピカピカの笑顔を向けてきた。 そして近づいてきて私のことを抱きしめた。「美羽、ただいま。先に寝ていてもよかったんだよ」「ううん。大くんに会いたかったの」素直に気持ちを伝えると頭を撫でてくれた。私のことを優しく抱きしめてくれる。そして、お供えコーナーで手を合わせてから、私は台所に行った。「夕食、食べる?」「あまり食欲ないんだ。作ってくれたのなら朝に食べようかな」やはり夜遅くなると体重に気をつけているようであまり食べない。この時間にケーキを出すのはどうかと思ったけれど、早く伝えたくて出すことにした。「あ、あのね……これ」冷蔵庫からケーキを出す。「ケーキ作ったの?」「うん……。赤ちゃんの性別がわかったから……」こんな夜中にやることじゃないかもしれないけど、これから生まれてくる子供のための思い出を作りたくてついつい作ってしまったのだ。迷惑だと思われてないか心配だったけど、大くんの顔を見るとにっこりと笑ってくれている。「そっか。ありがとう」嫌な表情を全くしないので安心した。ケーキをテーブルに置くと私は説明を始める。ケーキの上にパイナップルとイチゴを盛り付けてあった。「この中にフルーツが入ってるの。ケーキを切って中がパイナップルだったら男の子。イチゴだったら女の子。切ってみて」ナイフを手渡す。「わかった。ドキドキするね」そう言って彼はおそるおそる入刀する。すると中から出てきたのは……「イチゴだ!」「うん!」お腹の中にいる赤ちゃんの性別は女の子だったのだ。「楽しみだね。きっと可愛い子供が生まれてくるんだろうな」真夜中だというのに今日は特別だと言ってケーキを食べる。私と彼はこれから生まれてくる赤ちゃんの話でかなり盛り上がった。その後、ソファーに並んで座り、大きくなってきたお腹を撫でてくれる。「大きくなってきた」「うん!」「元気に生まれてくるんだぞ」優しい声でお腹に話しかけていた。その横顔を見るだけで私は幸せな気持ちになる。はなを妊娠した時、こんな幸福な時間がやってくると
美羽side結婚パーティーを無事に終えることができ、私は心から安心していた。 私と大くんが夫婦になったということをたくさんの人が祝ってくれたのが、嬉しくて ありがたくてたまらなかった。 しかし私が大くんと結婚したことで、傷ついてしまったファンがいるのも事実だ。 アイドルとしては、芸能生活を続けていくのはかなり厳しいだろう。 覚悟はしていたのに本当に私がそばにいていいのかと悩んでしまう時もある。 そんな時は大きくなってきたお腹を撫でて、私と大くんが選んだ道は間違っていないと思うようにしていた。自分で自分を肯定しなければ気持ちがおかしくなってしまいそうになる。 あまり落ち込まないようにしよう。 大くんは、仕事が立て込んでいて帰ってくるのが遅いみたい。 食事は、軽めのものを用意しておいた。 入浴も終えてソファーで休んでいたが時計は二十三時。 いつも帰りが遅いので平気。 私と大くんは再会するまでの間、会えていない期間があった。 これに比べると今は必ず帰ってくるので、幸せな状況だと感で胸がいっぱいだ。 今日は産婦人科に行ってきて赤ちゃんの性別がはっきりわかったので、伝えようと思っている。手作りのケーキを作ってフルーツの中身で伝えるというささやかなイベントをしようと思った。でも仕事で疲れているところにそんなことをしたら迷惑かな。 でも大事なことなので特別な時間にしたい。
「そんな簡単な問題じゃないと思う。もっと冷静になって考えなさい」強い口調で言われたので思わず大澤社長を睨んでしまう。すると大澤社長は呆れたように大きなため息をついた。「あなたの気の強さはわかるけど、落ち着いて考えないといけないのよ。大人なんだからね」「ああ、わかってる」「芸能人だから考えがずれているって思われたら、困るでしょう」本当に困った子というような感じでアルコールを流し込んでいる。社長にとっては俺たちはずっと子供のような存在なのかもしれない。大事に思ってくれているからこそ厳しい言葉をかけてくれているのだろう。「……メンバーで話し合いをしたいと思う。その上でどうするか決めていきたい」大澤社長は俺の真剣な言葉を聞いてじっと瞳を見つめてくる。「わかったわ。メンバーで話し合いをするまでに自分がこれからどうしていきたいか、自分に何ができるのかを考えてきなさい」「……ありがとうございます」俺はペコッと頭を下げた。「解散するにしても、ファンの皆さんが納得する形にしなければいけないのよ。ファンのおかげであなたたちはご飯を食べてこられたのだから。感謝を忘れてはいけないの」大澤社長の言葉が身にしみていた。彼女の言う通りだ。ファンがいたからこそ俺たちは成長しこうして食べていくことができた。音楽を聞いてくれている人たちに元気を届けたいと思いながら過ごしていたけれど、逆に俺たちが勇気や希望をもらえたりしてありがたい存在だった。そのファンたちを怒らせてしまう結果になるかもしれない。それでも俺は自分の人生を愛する人と過ごしていきたいと考えた。俺達COLORは、変わる時なのかもしれない……。